2013年5月20日月曜日

アーティストという生命

無機的な都会の中で、自然が息づいているように、人の世界の中でアーティストという生命が生きている。

アーティストはヒトの知性や本能をインスパイアし、自分を取り巻く状況、世界を刺激していく。

クリエイターとアーティスト
クリエイティブであっても、アーティストになれるとは限らない。作ればアートというわけではない。クリエイターとアーティストは役割、立場が違う。

中村恩恵さんのクラスをほんの少しの間、見ることができた。
ダンサーたちに教えているその姿、言葉、そして雰囲気に、とてもインスパイアされた。クラスを見て、こんな気持ちになったことはない。
本物のアーティストだと思った。

ダンサーとは、体を使って踊りや動きで表現する人という表現があるとしたら、恩恵さんはダンサーという表現者を超えて、言葉の代わりに「体」を使って「詩」を奏でる詩人のようだと思った。テクニックや身体能力ではなくて、体の言葉が聞こえてくるような、
見ているだけで胸が熱くなってくる存在、生命。

ダンスのテクニックは共通するところがあっても、クラシックバレエのような「西洋」の形式とは違う。人が共通に持っている「体」という言葉を使って、芸術のレベルまで研ぎ澄まして高めた動きと表現。自分の中に確かなものとして身につけ、体を通して表していく。舞台を見たときにはそこまでは感じられなかった、動きのクオリティの高さだけじゃない、アーティストの生命、存在を感じられて、貴重な時間体験できた。

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